弦楽器の真ん中には穴が空いている。
この穴は、弓によって生み出された音を大きくするために開けられている。
子供のイタズラでもあるまいし、中に何か入れるために開けられているものではない。
指揮者である尾見藤治郎は、練習を終えたコントラバス奏者に
「そのコントラバスは、中に何か入れているのかね?」
とおそるおそる聞いてみる。
コントラバス奏者は、死人のように無表情な顔で
「いえ、なにも」
と小声で答えた。
しかし尾見は演奏中に、まちがいなく見たのだ。
コントラバスの中で尾見を見つめる、赤い目をした女の顔を。
「おつかれさまでした」
尾見は練習を終えた市民オーケストラのメンバーにアイサツを投げかけるが、明るく返してくる者はいない。
ここで指揮棒を振ることになって、まだ日が浅いから、メンバーとなじんでいないだけだろうと、尾見は自分に言いきかせていた。
そう自分に言いきかせないと、ここから逃げ出したくなる。
初めからおかしなことばかりだった。
弦楽器のエフホールの中に女性の顔が見えたのも、その日が初めてではない。
30人以下の小さなオーケストラなのに、尾見の耳には31人目や32人目の音色が聞こえてくることもある。
しかも、誰も演奏していないはずのオーボエの音が鳴らされる。
演奏者たちの顔は肌色と呼ぶには白すぎて、あまり動かない視線からは人間らしさを感じられない。
空調のよく効いた練習場所は快適な涼しさに保たれているはずなのだが、なぜか室内にいると手足が震え、歯はガチガチとリズムを刻もうとする。
練習場所であるホールを出て、尾見は夏の暑さを心地よく感じた。
帰り道の途中で、結婚式を見かける。
ウエディングドレスを着た花嫁が、
「ありがとう、奈々枝さん」
と、友人らしき女性に声をかけていた。
声をかけられた女性は、感動のためか涙を流していた。
豊かな表情にあふれる、生きるよろこびに満ちた風景に、尾見はしばらく見入っていた。
その場に足を止めていた尾見の心の中に、気が付きたくないアイデアが浮かんできた。
(生きる喜び?)
本当は気が付いていたけど、考えないようにしていたことだ。
(あの市民オーケストラのメンバーは本当に「生きて」いるのか?)
一度でも考え始めたら、妄想は止まらなくなる。
(あの連中は、死体なんじゃないか?)
話しかけても無表情な彼らは、演奏中には不気味に笑う。
自分は30人もの死者に見つめられながら、指揮棒を振っているのかもしれない。
(いや、ばかばかしい考えだ)
夏の太陽に守られながら、尾見は帰路を急いだ。
尾見の人生は、おおむね幸せだった。
音楽大学の教授としての仕事を引退し、いくつかの市民オーケストラで音楽を教えるボランティア活動を始めたのが、およそ15年前だ。
尾見は指揮者としての道より、教える側としての幸福を選んでよかったと、心の底から思っている。
ただ尾見は、少し歳を取りすぎた。
年齢を重ねるにつれ、次から次へと他界する家族や友人や教え子たちは、尾見に孤独を残していった。
もう誰かと別れる悲しさを味わいたくない。
だから尾見は、この市民オーケストラの仕事を最後に、指揮棒を手放すことに決めていた。
最後の仕事をきちんとこなして、誰にも関わらない生活を始めるつもりだった。
しかし最後のオーケストラは、普通のオーケストラではなかった。